色彩の無い世界にひとつ色

詩や雑記で更新し、ひとり行進しながら後進しています。ムーンウォークばりに。

仙人掌

近所のホームセンター的な場所で、
去年の今頃(だった気が)買ってきたミニサボテンが、
つい先日、お亡くなりになりました。
一応、自分なりにではありますが大切に育ててきたつもりだったので、
ちょっと残念、というか少し悲しかったです。

今年の春頃植え替えをしたのですが、それに失敗したのか、
または夏の間水をやり過ぎたのか、
この間見てみると根が腐っていて、白いカビのようなものが生えてました。
土の上だけ見た分にはあまり変化はなかったのですが、
様子がおかしい気がしたので見てみて良かったような、悪かったような…。
思い切ってメインの部分にメスを入れてみると、
案の定、中も腐ってました…。
『腐ってやがる…。まだ早過ぎたんだ…。』みたいな。
いや、別に特に何かが早過ぎた訳ではないのですが、
何となく言ってみたかっただけです。(コラ

でも、ああいった所で買ってきたサボテンは、
もう売っている時点で半分死んでいるようなものなのだそうで。
本当に植物のことを考えているのなら、
土の表面を化粧砂でカチカチに固めたりはしないはずですし。
多分インテリア程度にしか思ってないのかもしれません。
でも、仕方ない、と思うことにします。
自分の不手際があったのかもしれませんが、
もう死んでしまったものは戻らないですし、
売る方も商売でやっているのですから、
見た目を綺麗にするのはある意味当然です。
「戻らないもの」をいつまでも考えていても戻ってくる訳でもないので。
例えば、
昼に食べた「うなぎ」美味しかったな~。また食べたいな~。
と思ったとしても、全く同じものはもう無い訳です。
下品で申し訳ありませんが、例え吐き出したとしても、
それはもう違うものに変わってしまっているのです。
似たようなもの、限りなく近いもの、で代用するしかないのです。

話は変わりますが、「幸福の定義」について。
以前書いたような気がしますが、
最近、自分で言っておきながら『あ、そういえばそうだった』
と思うことがあったので、一応。
「幸せ」だとか「楽しい」とかって、本人がそう思っていても、
周囲の人にとっては納得し難いものだったりすることって、
結構多いような気がします。
マニアックな趣味とか、自分には興味がないものだったりとか、です。
でも、他人がどう言おうが、本人が「幸せだなぁ」、「楽しいなぁ」
と思えるのなら、それが幸福なんじゃないかな、と。
同じように、「何をしても面白くないなぁ」と感じるときは、
きっと、「『自分自身が』面白いと感じようとしていない」
状態なのではないかな、と思うのです。
待っているだけでは何も変わらない、何も面白いことなんて起きない、
というのは、そういう状態からくるのかもしれないな、と。
楽しもうとすればどんな状況も楽しめるのかもしれないし、
逆に楽しもうとしなければどんな状況も苦痛でしかない。
上記は少し言い過ぎかもしれませんが、
要は自分次第だということだと思いました。
つい最近まで、何をしても楽しめない状況が続いていたのですが、
今日、なんとなくこんなことなのかな、
という勝手な説を思いついたので、書いておきます。
でも、こんな時に限ってほとんど、
自分から行動してみたり、考え方を変えてみたり、
ということをする以前に疲れてしまっていたりするのです…。
まずはゆっくり休んでみたりして、それでも変わらないようなら、
こんな方法もアリなのかな、と思ったり。

少しだけ、疲れが取れてきたような気がして、
こんなダラダラと書いてしまいました。
うーん。でもまだダルい感じがするので、
依然として更新頻度は少なめになりそうな予感…。
体調が良くなればもう少し更新したい(テンプレ背景とかも)のですが、
頭が上手く働きません。
ああ、それは前からですね…。orz

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