自我の破損とその修復に必要な手記
一体どこからがわがままで、どこからが心配という感情なのだろう。
多くのものを求めている訳ではないのに、
相手にそう思われていないかひどく不安に思うことが増えてきた。
何かに没頭できる間は考えなくて済むので、
できるだけそうするように努めているけれど、
それを繰り返しているとひどく疲れてしまう。
休息の間はどうしても考えてしまうのだと思う。
やさしさとはなんだろう。
余計な心配とはなんだろう。
ただ待つ事だけがやさしさなのか。
思いやることが正しいのか。
正しさとは何だ。一体誰にとっての正しさなのか。
自分にとってか、相手にとってか。
自分はこれでも辛い経験をしてきているから他人にやさしくなれるのだと、
ある意味誤解ともいえる感情のもとに行動してきた。
線を引くことはとても難しい。
相手や時や場合によって変化するものだからだろう。
相手の境界に踏み込めないことの言い訳にも聞こえる。
踏み込んでいいのか。その権利があるのか。そんなものは必要ないのか。
何もわからない。
正解のない世界の中で、
自分は他人からは解らないような程度で、狂ったように没頭を繰り返している。
これを現実逃避というらしい。
ほんの少し冷たくて、ほんの少し温かい何かに触れる度、
僅かに自分の中の一部が研磨されるのを感じる。
そうやって少しずつ、丸みを帯びた小さいものに変化していく。
それは綺麗だろうか。醜悪だろうか。それともその両方だろうか。
何もわからない。
考えることに少し疲れてしまった。データが破損しているのかもしれない。
修復には何が必要だろう。
とりあえず寝よう。